
アメリカの現代美術を代表するアーティスト、ロニ・ホーンの国内の美術館における初個展が、箱根のポーラ美術館で開催中。

蓮の葉の上に落ちた雫のように、自然豊かなポーラ美術館の屋外の景色を室内に取り込む、9つの鋳放しのガラス彫刻。ガラスは、物理学的には「固体」でも「液体」でもないらしい。ある一定の条件の下、円筒形の塊(マッス)として存在するそのガラスの表面に残された波紋のような微かな痕跡を見つけるとき、そこに水を感じるだろう。しかし、水面を覗き込むときのように、そこに自分の姿はない。窓の外、遠くの景色は映し出しているというのに。自分の中にある水はおろか、水の中にいる自分すら見えない・・・Untitled( )の中に断片的に引用されたかのように記された言葉は何を意味するのだろうか?

-エミリ・ディキンソンの詩が、一節ずつ断片的にバーとなって壁にもたれかかっている。ある方向から見ると意味をもつ言語が、別の方向に回ると言語の体を成さなくなる。文字は純粋な「形」として解体され、模様[パターン]となって意味を失う。そのパターンは、床に開いた規則的な縞模様(排気口)と等価であるようにすら見える。何かの意味を内包しつつ、意味を失った言葉や情報の断片として空間が再構築される具体詩[concrete poetry]の詩情は書籍『To Place』と、コラージュによるドローイングのシリーズが並ぶ空間へと繋がっていく。

1975年から今日まで継続して、人里離れた辺境の風景を求めてアイスランド中をくまなく旅してきたいうロニ・ホーンが、その長い時間の中で、地名や標識といった土地勘を身体に得ていくかのように、既存の地図を再構築しながら、独自の地図を描き出すように、折り重ねられていく言葉。寄せては返す水の絶え間ない反復の作用は、アイスランドのとある夫婦の日常風景 《円周率》 として映し出されていく。荒れ果ててしまわぬように、ただ生活や生命を維持するということは、なんと凡庸で、大変で、それでも美しい瞬間に溢れているのものなのだろうか。それを教えてくれるのは、大抵はほとんど変わらない海や空、そして動物、その死との遭遇なのかもしれない。

水の中にあなたを見るタイポロジー的実践は、次の2作品へと続く。
映像作品《水と言う》は、川を巡る様々な死についての朗読で、ルイジアナ美術館(デンマーク、2013年)に行われたパフォーマンスのドキュメンテーション。絶え間なくうつろい、捉えどころのない、全貌など知る由のない流動的な世界の中で、どう自分の存在を確かめるのか。写真作品《静かな水(テムズ川、例として)》では、テムズ川の水面を写した写真の上に番号が振られ、それぞれに脚注のような言葉が散文のように添えられる。水という物質との関わりの中で、身体的感覚をもって、その標となる光の断片をひとつひとつ見つけていくかのようで、天体図のようにも見える。「ガラス彫刻」のシリーズに( )で添えられた言葉とはそういうことだったのだろうか…

テムズ川は都市を流れる川の中で最も自殺率が高い。もしかしたら1番ではないかもしれないがほとんど近いものだろう。たとえそうでなくてもそれほど問題ない。どうせそう見えるのだから。
展覧会特設ページでは、15枚の作品に添えられた散文(日本語訳)を参照することができる。

下階に展示されるのは、1982年から今日まで一定して継続される唯一の形式であるという「日々呼吸するように」実践されるドローイングの作品群。本展のメインビジュアルとして使用されている作品《あなたは天気 パート2》はもちろん、中でも高さ3メートルに及ぶ《または 7》のシリーズは圧巻で、解体と再構築、詩、反復、地図といった、これまで上階で見てきた作品群と共通するヴォキャブラリーを見つけることができる。

繰り返しながら続いていく、終わりの見えない「孤独」な時間の流れの中で、自己と他者をじっと見つめ、そして微かな差異を見逃さないように…
水やそれを表象するガラスの表面のパターンは、デジタルデータの断片(特にグリッチ)のようにも見えないだろうか?そこに、記憶の断片としての言葉を探す身ぶりは、不確かな現実世界だけではなく、実体のないヴァーチャルな世界において、自分の存在を確かめるか手がかりにもなるだろう。

外に出ると、前日の雨がガラスの表面を覆っていた
水たまりに集まる落ち葉
そこにも自分の姿は見えなくとも
そぞろに漂う葉がなびかせる水面の振動に
身体の中の水が共鳴する

ロニ・ホーン: 水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?
Roni Horn: When You See Your Reflection in Water, Do You Recognize the Water in You?
会期:2021年9月18日(土)~ 2022年3月30日(水) ※会期中無休
会場:ポーラ美術館 展示室1, 2 遊歩道
https://www.polamuseum.or.jp/sp/roni-horn/