
今年の夏期休暇は、27歳までユース割引が適用されるジャーマンレイルパスのラストチャンスを狙って、ドイツを中心に約2週間の電車1人旅。(※ユーレイルパスのユース割引は25歳まで。)2週間も〈休暇〉をとったのは〈夏休み〉があった子供の頃を除くと人生初だったかもしれない。だから、すごく時間があると思っていたのに、実際は全然足りなかった。時間もお金も少し余裕が出てくると欲が出て来てしまうもの・・・ただ、時間より問題だったのは、恐らく人類が「旅に出る」最大の目的である「非日常感」の欠如だった。初めて訪れる場所がほとんどだったし、自分で全部プランを立てなければいけないし、トラブルが発生したら自分1人でどうにかしないといけない。異国にやってきたという感覚は十分に味わっていたはず。それなのに、せっかく旅に出たのに、消化不良のまま胸焼けしてる感じなのが悔しくて、その理由を帰国後ずっと考えていた。
/「非日常感」欠如の理由
理由1:どこも〈都市:city〉であったということ。
思い返せば、私は北緯が日本以上の欧米の〈都市〉ばかり訪れている。言語や文化や制度の違いこそあれど、〈都市〉と言われるからには無くてはならない要素は一通り揃っていて、だから1日過ごせばそれなりに分かってくる。それに、一時のトラベラーに必要な〈都市〉の情報は、簡単な英語さえできれば得られるし、何より大体のことはgoogleが教えてくれる。これほど集合知に感謝する瞬間はない。ちょっと旅慣れてくると、郊外へのエクスカージョンくらいはできるようになるから、ちょっとした自然や田舎体験まではできるようになるのだけど、地球の神秘や文明の息吹を感じるような秘境とはほど遠い。「1人旅のすゝめ」唯一の欠点は、秘境探訪のようなアドベンチャーに挑むには孤独でストイックすぎるということだ。(運動神経や体力に自信がある人は別だと思いますが…)
理由2:予定を詰め込みすぎたこと。
毎度のことながら、出発前にgoogle mapは既に無数のピンで埋め尽くされている。もちろん、現地に行ってから追加される場所もあるわけで、いかに効率よく回るかというプランニングのために毎朝頭を悩ませることになる。計画を立て、可能な限りオンラインでチケットを揃えて、そして分刻みのスケジュールを全てこなすために1日中駆け回る。もはや仕事だ。バイヤーでもエディターでも無いのに、何に必死になっているのだろうか・・・整理と咀嚼がままならないまま、ブローシャーと図録が増えていくだけの日々に途方に暮れながら、優柔不断で欲深い、結局〈暇〉に耐えられない乏しい心に辟易するのだった。今回だって「ベルリンの公園で日向ぼっこしながら読書」という目標があったのに、結局そんな時間は微塵もなかった。具体的な目的のない〈暇〉のための時間の作り方は、まだよく分からない。
理由3:物理的移動を凌ぐ〈変化〉が思考を占拠していたこと。
実は、フランクフルトへ旅立つフライトの搭乗10分前に転職が決まった。人生でもう二度と無い経験だと思う。非日常感をもたらす絶対的且つ最大の理由は、物理的移動〈変化〉(cf.私の余暇[Leisure]研究)だと思っていた。だけど、流石に人生の〈変化〉はそれを遥かに上回るインパクトを持っていた。これ以上ない吉報だったのに、喜びも束の間、不安ばかりが膨らんでしまい一睡もできなかったフライトから始まって最終目的地のロンドンに辿り着くまで、全く地に足の着いていない夢うつつな気分で過ごしてしまった。恐らくこれが、今回の旅に非日常感が欠如していたと感じてしまった最大の理由。
移動の軌跡と総移動距離を、ライフログアプリMovesからexportしようと思っていたのに、7月でサービスが終了しており、代替アプリも見つからない…
/目的のない旅はしない
そんな大きな変化が訪れるとはつゆ知らず、今回の旅の計画を立てたのは7月初旬。
毎回旅には目的(≒編集方針)があって、例えば、ドメーヌ巡り(ワイン)のためのフランス(2011)、World Design Capital訪問のためのヘルシンキ(2012)、修論に向けたテキスタイル調査のためのオランダ(2015)、アート&エンターテインメント研究のためのニューヨーク(2017)など。
今回の旅に関して言うと、当初の目的は「建築とダンス」+ロンドンで暮す友人を訪ねることだった。
つまり、中心に据えがちな「美術館巡り」というテーマは優先順位を下げる予定だった。アートを見始めるといくら時間があっても足りないし、せっかく気候の良い時期(ハイシーズン!!)に訪れるのだから、外でのんびりと時間を過ごすはずだった。結局、これも主目的に繰り上がる事情が出てきてしまったので、最終的に4つの舞台、20以上もの展覧会を見ることになったのだけど。
主な目的地としてドイツを選んだのは、まだ行ったことがなかった国だったからというのと、ピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団や、ジョン・ノイマイヤーのハンブルクバレエ団のイメージで、コンテンポラリーなダンスを観れそうという安直な理由から。しかし残念なことに、8月というのは9月に始まり翌7月頃に終わってしまう劇場シーズンのちょうど狭間で、拠点とする劇場以外への出張出演が無い限り公演が行われていない。〈FEST〉好きなドイツ文化のおかげか?いくつかダンスフェスティバルが開催されていて、観たかったカンパニーの公演も見つけることができたのはラッキーだった。
/舞台の公演日から決めた旅程と旅路
そういった事情で、選択の余地がほぼないダンス公演のスケジュールから逆算するように旅程が決まり、そこから最終目的地をロンドンに設定して、合間を埋めるように〈建築巡礼〉の旅路を決めていったのだった。
Dance
8/25
Autobiography /Company Wayne Macgregor
8/31
Neues Stück II /Tanztheater Wuppertal Pina Bausch|Alan Lucien Øyen
9/4
Martha Graham Dance Company at Opéra national de Paris
+現地でチケットを取ったBerlin Circus Festival
Architecture
・Bruder Klaus Feldkapelle /Peter Zumthor (köln)
・Kolumba Museum /Peter Zumthor (köln)
→Insel Hombroich /Alvaro Siza (köln)
・Elbphilharmonie /H&deM (hamburg)
・Denkmal für die ermordeten Juden Europas /Peter Eisenman (berlin)
・Bauhaus (dessau)
・Vitra Design Museum (wheim am rhein)
・Schaulager Museum /H&deM (basel)
・Chapelle Notre-Dame du Haut /Le Corbusier (ronchamp)
・Tate Modern /H&deM (london)
・Serpantine Pavilion /Frida Escobedo (london)
*Mastaba /Christo&Jeanne Claude (london)
〈建築巡礼〉。その建築家に傾倒しているか否かに関わらず、行くだけで一苦労な立地であることが多いのは間違いない。そのために行ったケルンでスケジューリングミスのためにPeter Zumthorの建築(×2)を見逃したり、バスが来なくて片道1時間弱歩いたり、電車トラブルでデッサウのバウハウスから帰れなくなりそうになったり、〈巡礼〉だと言い聞かせないと挫けそうだった。でも逆に〈巡礼〉と言われれば大したことないように思えてしまうから言葉は怖い。とにかくトラブル続きだった話については追々書くとして、まとめると今回の旅路はこんな感じ。
/〈孤独なトラベラー〉との訣別
たとえ今回のようなライフステージの変化がなかったとしても、いつものような〈孤独なトラベラー〉体験から学べることは、もうそう多くないような気がしている。もちろん、同行者がいれば別の楽しみがあるけど、そういう意味ではなくて。目的地リストにひたすらチェックを入れていくためのような旅が虚しくなってきたし、そもそも何に1番興味があるかというと、建築や美術館そのものではなくて、その中身とその周辺の景色ーそこで暮らす人の〈生活〉で、そうなると向こうにいる誰かを訪ねるしかない。今回の旅路でどこが1番良かった?と度々尋ねられたけど「それぞれ」としか言えなくて、一言ずつまとめるなら、🇩🇪excited 🇨🇭relax 🇫🇷fantastic 🇬🇧calm といったところだけど、ロンドンだけが全く違う意味を持っていたのは、向こうで待ってくれている人がいたということ。Eurostarの発着駅であるParis Nord駅での出国審査時に、“To visit my friend.”と答えられたのは、なんだか新鮮でとても嬉しかった。そこで生活をしている人と過ごさなければ見えない側面を垣間みることができたという意味で、ロンドンでの時間は特別なものとなった。〈何を〉ではなく〈誰に会いに〉という理由ができるまでは、多分どんな所に行っても物足りなさを感じてしまうのだと思う。旅先で誰かに取材をするという挑戦から逃げてきた負い目もあるからかな。旅なんて、ただ楽しければそれでよかったはずなのに、何かを得られなければ満足できないなんて・・・
現実逃避もなかなか大変だ。
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