
いつも年末になると、翌年1年のテーマを考える。
2017年は「こじらせない」、2018年は「整える・納める」、2019年は「サステナブル(な働き方)」。それが、2020年はまったく見えなかった。何も見えないまま年を越してしまった。どうしよう。2020年1月2日:速報「イランによる在イラク米軍基地攻撃」。1月4日:インフルエンザ発症。(味覚障害もあり、あれは今思えばcovid-19だったのかもしれない。今ならそう診断されたかもしれない。「今思えば…」)とにかく、不穏な始まりだった。1年の予定を全て白紙に戻した。
2019年終盤、仕事で“innovation”(今更だと思うかもしれない。でも、語源的な意味に立ち返ると、一般的な用法の誤読が必ず見えてくるのものである。)についてリサーチしていた時に、「人間はなぜinnovationを必要とするのか?」という問いから「サバイバル」というキーワードが妙に頭に引っかかっていた。強いて言うなら、2020年のテーマは「サバイバル」だったのかもしれない。今思えば… 2020年は、図らずも、そして全く予想しない形でサバイブしなければならない状況が世界を襲い、そしてなんとかサバイブした。マスクはウィルスという見えない敵と戦う盾であり、否コロナウィルスが蔓延する社会でサバイブするためのカモフラージュでもあったように思う。
「ニューノーマル」という言葉は、どうしても「ノームコア」(1くらい空虚なものに聞こえてしまうし、「モダニズム」で希求された「健康」のイメージ2)だって、今見返すと、行き過ぎたもの、可笑しなものは少なくない。ルールを決める上での「判断基準:スケール」に(一時的で流動的な)線の引き直しが必要だったとしても、誰かの「ノーマル:通常、ふつう」を定義する権利が人間にはあるのだろうか?「ノーマル」を定義することはつまり「アブノーマル」も定義してしまうことでもある。
少なくとも「ニュー:新しさ」=正・善ではない。仮に「新しい」=正だとするのならば、それは本当に「新しい」のかを問うべきではないだろうか?20世紀のもはや遺産のような進歩主義や成長曲線をこれほど疑った1年はないはずなのに、新しいことが無批判に善いもの・正しいものと信じて(信じ込まされて)いることが怖い。
それに、「戻る」=悪でもないはずだ。生命や生きることのサイクルは決して閉じた円ではなく、「螺旋状に開いた」3)サイクルなのだとしたら、「戻る」ことは後退ではない。そもそも進む時間を止めることができない条件の下で、「戻る」ことは不可能だ。工業製品からシステムやサービスへと生産対象は変わり、マイルドなパッケージによってオブラートに包まれてきたかもしれないが、more and fasterの精神で突き進んできた私たち人間の歩みは、ムーンウォークのように「確かに始まりは足を前に出している。しかしその結果は後退している」4)ようにも思える。前へ前へと投げ続けてきた「pro-ject:プロジェクト志向」から一旦距離を置く時期が来たのではないだろうか?歩き方を変えることが難しいなら、進行方向を変えればいい。前(未来)を向くのではなく、後ろ(過去)を向くのだ。過去を顧みながら、一見後退するように足を進めることでしか、未来には進めないのかもしれない。どこに辿り着くのかは誰にもわからない…
さて、そろそろ2021年のテーマの話へ…2020年ほど「温度」を意識し、話題になった年もないのではないかと思う。
- 37.5℃
外に出かける権利を得ることができる体温。人それぞれ平熱は違うはずだが… 毎日、それも何度も体温を測られる。 - -70℃
ワクチンを輸送するためには-70℃以下のコールドトラフィックが必要。 - +1.5℃
温暖化の危機から地球を救うための努力目標。産業革命前からすでに1.2℃上昇しているという。
もちろん「温度」が話題になったのは直接的な意味だけではない。
It’s time to put away the harsh rhetoric, lower the temperature, see each other again, listen to each other again.”
Biden makes his first remarks to the nation as president-elect. (Nov. 7, 2020)
冷房と暖房の両方をかけることについて、どう対応していくのか。
小池百合子東京都知事による政府のGO TO施策批判(Nov. 14, 2020)
幸いにも Covid-19にまだ罹患していなかったとしても、社会全体が高熱に喘ぎ、悪寒を訴えているような状態が続くことへの倦怠感。コロナ禍を契機に、あらゆる問題が棚卸され、議題に上がったことは良かったことだが、賛成 or 反対、対話の余地を許さぬ沸騰した主張 or 冷笑の二項対立や分断を生んではいないだろうか。SNSで賛成 or 反対とpostすることが「行動」していることになり、 沈黙は無関心とみなされ、人間関係を清算して同じ考えをもつ人だけと心地よく生きることが「賢い」時代。それでも、あっちこっち行き来しながら考え、冷え切ったところは温め、熱くなりすぎたところは冷静さを取り戻すように、平熱(やや高め)を維持していきたい2021年。
参照
1) 米ニューヨークを拠点とするトレンド予測グループK-HOLE により2015年に提唱されたトレンドキーワード。普通(Normal)であることと、究極(Hardcore)であることを組み合わせてつくれらた造語である。「真にノームコアである人々は、“普通”など存在しないことを知っている」 (「ノームコア」が本当に意味するもの|Wired.jp | 閲覧日 2020.01.17)
2)『我々は人間なのか?』
ビアトリス・コロミーナ (著),マーク・ウィグリー(著), 牧尾晴喜 (翻訳) | ビー・エヌ・エヌ新社 | 2017年
モダニズムの建築には、結核を代表とする感染症が蔓延した不潔な19世紀的都市からの治癒を目指し、光・運動・衛生・白さといった要素が重視されたという側面がある。「建築家は社会秩序に対する概念を表現するために、疾患という比喩をくり返し使用した。」(p.122)スーザン・ソンタグは「結核と癌ほど『隠喩の罠によって見世物のように、また似たように理解を妨げられてきた疾患はほとんどない』」と論じたらしい。新型コロナウイルスもまだ解明されていないことの多い感染症であることは確かだが、政治的に利用されないように注視していかねばならない。
3) 『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』
福尾匠(著)| フィルムアート社 | 2018年
2020年は「螺旋」という言葉もよく耳にした気がするが、どうやらフランスの哲学者ジル・ドゥルーズによる映画論での、運動イメージの思考に関する言説にオリジナルがあるようだ。「運動イメージの思考は、全体の「開かれ」に基礎づけられたこの内部化と外部化の描き出す螺旋、そしてそれによって賦活される内的モノローグと拡張される外的世界の両輪によって作動していた。」(第4章 4-3)
4)「六本木クロッシング2019展:つないでみる」での田村友一郎さんの作品鑑賞メモから。映像作品は下記サイトで閲覧することができる。
Yuichiro Tamura | 田村友一郎《MJ》(2018) シングルチャンネル・ヴィデオ
後記:身に纏いたいエディブルオブジェ

ポルトガルの伝統菓子Raivas(ライヴァッシュ)。生地の扱いづらさと成形の難しさから「いらいらする」という名がつけられたのだそう。シナモンが効いた素朴なお味で、テクスチャとしてはポッキーが一番近い。ホリデーシーズンにocailleで出会った福田里香さんのRaivasは水引のように繊細で、セレモニアルな厳かさが感じられる。一筆書きで描かれた形態は、一口食べた瞬間に崩れ落ちてしまうのだが、その断片がまた美しいのだ。シンプルなかたちの無限の可能性に魅せられて。現地で食べられる日はいつ訪れるのだろう・・・
酷い二日酔いで目醒めた朝のような世界。
頭痛と吐き気から復活して、パーティーの後片付けをして、美味しいブランチを囲める時が早く訪れますように…