Looking for [Leisure]

ここ最近の関心事はもっぱら「余暇」。

休息[rest]でも、休養[relaxation]でも、休暇[holiday/vacation]でもなくて余暇[leisure]
 
Athletic+Leisure=「アスレジャー」スタイルがトレンドだからではなくて、こんなご時世だからでもなくて、でもサラリーウーマンだから・・・という現実の影響は否定できないけど、最初にこの言葉が気になり始めたのは、いつだろう? 
 

1.Ladies Of Leisure ZINE

それはきっと、2016年のTOKYO ART BOOK FAIRで、このzineに出会った時。


BOOTH : G-17

自らがキュレーションしたアーティストとのコラボレーション作品をお届けする、超ホットなガールズ・チーム。多様なヴィジョンやクリエイティビティをサポートするLadies of Leisure(LOL)は、自らの手で自分たちのシーンを作っている女の子たちや、彼女たちがどうやってそれを成し遂げたのかにクローズアップして、みんなをワクワクさせ、インスパイアし、クリエイティブな生き方を応援していきたいと思います。ジンの出版に加えてワークショップやパーティーの主催、映画製作、おしゃれで楽しい商品の販売を通じて、懸命に夢を追いかけるこれからのアーティストたちを支援するツールを提供しています。

http://www.ladiesofleisurezine.com



この表紙やサイトを見て、きっとみんな「フェミニズム」って言葉が頭に浮かんだよね?(デザイン好きのfirst impressionは、「メンフィスの鏡」の方かも)
 
でも、当時は誰も(日本では)そんな風には見ている人はいなかったし、残念ながらこのブースに注目している人もあまりいなかった。オーストラリアからやってきた超ホットな”Ladies”は、jacqumuesを着ていた。そして、たった1間しかない小さなブースなのに、ポストモダンをモダンにアップデート(?)したカジュアルなのにハイクオリティなデザインのブースに、私はすっかり1人で興奮してしまった。
 

zineと併せて買った、このポスターはお気に入りで、ずっと部屋に飾っている。
 
ウェブサイトによると、どうやら今後更にパワーアップしてcome backするらしい。準備期間もサイトを訪れてくれた人を楽しませる精神を忘れない、この粋なセンスも”Leisure”のヒントなのかも。

2.TO ORGANIZE DERILIUM / Hélio Oiticica

で、zineも、洋雑誌すら久しく買うこともなくなり、忙しないサラリーウーマンを送っていたけど、去年の夏休み、Hélio oiticicaの展覧会で久しぶりに思い出した”Leisure”。「夏休み」中だったからではなくて、展覧会なのに、「見る」というよりも、砂場を走り回ったり、ハンモックにゆらゆら揺られたり、爪磨きしながらベッドに寝っころがってごろごろしたりした、遊んでいるような不思議な体験だったから。

彼は”Eden”(1969)というインスタレーション作品を作った時に、クリエイティブであるため、そしてその創作活動の過程で感じる陽気な気分をみんなでシェアするためには「余暇:Leisure」が一番大事であるという自身のセオリーを解説するために、“creleisure”という造語を作って発信したのだとか。
 
理由なんてどうでもよくって、思考から解き放たれて、ただただ「超楽しかった」(1人だったけど)。
表層的で消費されつつある表現で片付けてしまいたくないから、この展覧会の批評につけられそうな「インタラクティブ」とか「参加型アート」みたいな言葉をあてがうのは、敢えて辞めたと宣言しておきたい。

3.L for Leisure

そして、最近のハイライトと言えばこちら。数週間前まで行われていた恵比寿映像祭。中でも、ジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダの作品があまりにも秀逸で、その関連作品として飛び込みで見た映画のテーマが偶然”Leisure”だった。

時代は1992-1993年。
アメリカ、フランス、アイスランドなど世界各地を舞台に、休暇を過ごす大学生たちの冒険を追う、風刺とジョークにあふれた実験コメディ。
と言っても、現在35歳くらいの作者たちも、自分たちは当時まだ大学生ではなかったので、記憶を頼りに、イメージで創り出したシナリオというわけだ。アーティスト同様に、私も全く当事者でないのだが、なんだかとてつもなく懐かしく、そしてひたすらに眩かった。

(私がとっても海外かぶれでNHKの二カ国語ドラマと、ディズニーチャンネルとFOXばかり見ていた小中学生だったからかもしれないが…)

90年代に限ったことではないけど、「アーカイブ」に注目が集まってきた(というより重要性を発信する人が増えてきた)のは、もう誰もちょっと先もずっと先も未来について予測できない、何が正しいのかも分からない世の中で、過去は「かつて絶対に存在したという」意味で『真実』であり、過去が拠り所として求められるようになってきたからだ。それも、ミレニアルくらいの世代にとって90年代の記憶は、9.11も3.11も未だ起こっていない、ある意味「ノーテンキになんとなく未来は眩いものだと思っていた」最後の記憶。そんな記憶と微かにでもリンクする「90年代」は、間違いなくユートピアなのだ。少なくとも、私はそう感じている。

「90年代風」トレンドの背景には、「エモさ」:ユートピア感と、今と比較するとまだ持て余す時間があった「ちょっとダラダラした時間感覚」への欲求が隠されているのだろうか。ダラダラ過ごす時間とお金があった90年代の若者と、時間もお金もないから夜遊びよりもソファでゴロゴロしたい(そして早起きしたい)ミレニアル*。
90年代への憧れは、どこまでも矛盾だらけでイメージでしかないのかもしれない。だが、それでもやっぱり眩いのだ。

*reference

 
「邦題:「〈老人化〉する若者たち 原題:夜遊びが苦手なミレニアル」(via vice

言葉が先行して入って来たせいで、日本での「ミレニアル」の定義はあまりにもテキトーすぎるので、この記事を読んでミレニアルを理解してもらいたい。この記事が本当なら、私も全くもってミレニアルの一員である。

 
手帳がビッシリ埋まってしまうのは、本当に忙しい時もあるけど、何も予定が無いことの方が不安だから。
自分が休んで留まっているうちに、周りはどんどん先に進んでしまっているように感じてしまう。
「休み」恐怖症は、現代病の1つかもしれない・・・
 
「休み」は難しいから、「遊ぶ」から考えてみようかな。 せっかく人間として生まれたんだから。

ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)
Johan Huizinga

 
OUT OF THE SCALEな余暇[Leisure]研究は続く…

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