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The Guide to See the World from Trivial Matters to Luxury Objects

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petipetite

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自然の美しさは完璧であればあるほど、逆に人工的なものに見えてくる不思議…

The more perfect the beauty of nature is, the more artificial it looks. It's a Mystery.
旅を振り返ることもままらないまま日々は過ぎていく…今年も夏が終わる。昨年のカルティエ財団 @fondationcartier でのBijoy Jainの展示もずっと頭の片隅にある。

足を踏み入れるとまず、土の香りに誘われるように結界が立ち上がり、薄膜のような土のカーペットには、思わず頬擦りしたくなるような親密さに包まれる。

土といえば、荒々しさや重たさがイメージされるが、ここでは、土の素材感や物量感に覆われているというよりもむしろ、空中に幾何学を描く竹のモビールや、ゆっくりと時を刻むように揺らぐ釣鐘の浮遊感に、重力よりも無重力へと意識が向かう。

生の土、焼かれた土など、デリケートな手つきで土の機微を読み解くようにその複数性が紡ぎ出されながら、土は空気や水として昇華していくかのような空間に、石は動物の似姿として現れ、繊細な竹の儚げな構造が自然の秩序を作り出す。その構造に差し込まれる赤と青の線は、楽譜のように時間を奏でていくようだった。

五感に直に触れるような生の瞬きに溢れ、マテリアリティを強く意識させる一方で、どこか絶対的な「不在」の漂う空間。素材の宿す不可視のエネルギーが、そこにいる人それぞれの想いや祈りのようなものと共振しながら、第六感にまで響き渡るように。その不在の空間を満たしていく…

展覧会の図録は、サイズも重量もヘビーで持ち帰れそうになかったし、というよりも何かここで得た体験と違う気がして、ブックショップの参考書籍コーナーから、ビジョイ・ジェインのインタビューが掲載されたアート・マガジン『See All This #32』 @seeallthis を一冊だけ持ち帰った。そこでは、建築家になる前は遠泳の選手だったこと、家族や友人、大切な人たちとのあまりも突然の別れの場所としての「家」の記憶などが語られる。

素材の粒子にまで神経が行き渡る建築。それを指の先で捉える微細な知覚から、壮大な世界へと視界が開けていくような、その独自の建築の身体性の背景には、人間の力など到底及ぶことのない大海原に漂いながら、肌身で覚えてきた感覚と孤独があるのだろうと考えたら合点が行った。

家について、彼はこう語る。'Home is where affection resides'. (家は愛着が宿るところ)また本誌の担当編集者がインタビュー記事の見出しに添えたdomain[領域、領土]というキーワードがずっと頭の中で残響のようにリフレクションしていた。

家や建築は、屋根と壁があって風雨を凌げるという必要条件や、個別の所有物property[財産]である以上に、愛着が及ぶ範囲domainを含む概念であるとしたら。誰にも壊されることも、奪われることもない居場所、故郷としてのDomainは、どう築き、そして守ってゆくことができるのだろうか。

"Imagine for a moment sweeping the floor of your houses with your eyelashes. (...) Home is just that one and only place where your eyelashes can touch a surface. It's this deep intimacy that, to me, is the measure of well-being."
(自分の家を、まつげで掃くとしたら。そんな瞬間を想像してみてください。(中略)家とは、まつげが触れることのできる唯一無二の場所です。そんな深遠な親密さこそ、私にとっての「ウェルビーイング」の尺度なのです。)
山梨の果実で満たされた冷蔵庫。mirab 山梨の果実で満たされた冷蔵庫。mirabelle(スモモの一種)ジャムの空き瓶には塩レモン。いつ漬けたのか記憶にないほど時間が経ってしまったけど、塩漬けはすごい。古からの保存術、人間の技はすごい。

空間はあればあるほどいい。冷蔵庫の中も…
埋め尽くしたい、埋め尽くされたいという欲求ではなくて、たくさんものがあってもまだ余裕があって欲しい。
溢れるものや情報を扱うとき、アーキビストというより、猛獣使いのような気分にいつもなっている。
exploring the equilibrium between the space and bo exploring the equilibrium between the space and bodies throgh the participatory activities in the relax atmosphere with environmental art and music😌
@bodiesinspace.bis
足で考え、手と五感で確かめるタイプなので、つくづく頭脳派ではないなと思う。一生完成しない編み物と積読は近い?

🔗Link in bio🐕
Random posts in Hakata. 文字通り1月は行く Random posts in Hakata.

文字通り1月は行くように、2月は逃げるように、3月は去るように過ぎていった。ペトラ・ブレーゼが"Escapism"なところが自分にはあると言っていたのは意外だったけど、それを聞いてちょっと救われた。

鬱屈とした記憶ばかりの地元から、一番近く逃避できる場所だった福岡は、今もコンフォート・ゾーンで逃避させてくれるところ。

1. シンプリシティが手がけたミナ・ペルホネン。内装も良かったけど、デコレーションの書籍とかレコードとかに哲学が透けて見えるよね。このFORMっていうフィンランドの古雑誌、すごい良いんだよなぁ。この号、中も見たかった。年末から「亀」が気になっている。

2. ニュー実家の近くにあるパンストックのパンを食べたくて、飛行機を予約したといっても過言ではない。

3. 実家のうさぎ。うさぎを飼ったことのあるリリー・フランキーによると「『うさぎは寂しいと死んじゃう』は嘘。」それに補足して「同性といるくらいならひとりのほうがいいと絶対思ってる。」うさぎを観察していると完全に同意する。あと、狭いところが好き。貴方、そういう格好してるとチンチラに見えるわね。

4. アジ美のコレクション展とてもよかった。アーイシャ・ハーリドの作品。イスラームの女性として生きる眼差しが、モザイクのような細密画、ブルカをモチーフに描かれる。

5. お取り寄せしたブランデー・ケーキが本当に美味しくて、ずっと行ってみたかったレストランSYM。この日のメインは鶏肉のコンフィ。丁寧に火が通されてぎゅっと旨みが詰まった鶏、それを包むキャベツの微かな苦味と、細かく刻まれたズッキーニの食感と、全ての要素が繊細なバランスでまとめ上げられていて、淡い色彩がふわっと漂うような、軽やかな旋律が奏でられるような、春が来た〜というコースに大満足。

6-7. 博多・中洲のホテル、イル・パラッツォ。よかったらプロフィールのリンクからブログ読んでね。

8. シンガポールの独特の政治的緊張の中でアーティスト活動を続けるホー・ツーニェンの作品にはいつもハッとさせられる。「真実を探求する者は幻しか見つけられない」2003年の作品から冴え渡っている。
2025年もあっという間に、1ヶ月が終わ 2025年もあっという間に、1ヶ月が終わる。年末年始にかけて、いろんな意味での棚卸しをようやくやりきった感がある。

働き始めてからずっと抱いている「仕事と生活」の問題。暮らしではなく生活。ブログを再開するところから原点回帰してみようとしたものの、wordpressが復旧できなくて早速詰んでいる。過去は手放せというお告げなのか?

今年は動物として最も根源的で、仕事と一番遠くて独立している食を中心に、まず生活を立て直していきたい所存です。

1月の食日記。

Jan. 2025

Ⅰ  常夜鍋
Ⅱ  納豆素麺炒め
Ⅲ  クレープ
Ⅳ  fête
Ⅴ  せり蕎麦

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Ⅰ

365日中200日以上は食べる鍋。「常夜鍋」とはよく名づけたもので、一般的なレシピでは、ほうれん草だが、我が家は水菜がスタメン。冬だけの贅沢は、せり鍋。根っこまで新鮮なものが手に入ると尚嬉し。毎日深夜になってしまう夜ご飯には、反射的な美味さより滋味深さが沁みる。もはや薬。それが薬膳?「毎日同じものを食べる」ことができるのも、ひとり暮らしの醍醐味だ。

ー
Ⅱ

ありふれた食材のはずなのに、食べたことのない味に出会った時、これ以上ない幸福感に包まれる。火を通した納豆を初めてふーみんで食べた時の衝撃は忘れられない。炒めることで粘りは後景化して、その旨みがぐっと際立つ。納豆炒めラバーとして、馬田草織さん @badasaori の「納豆素麺炒め」にinstagramで初めて遭遇した時の興奮たるや。見様見真似で作ってみたものの、見た目も味もこれじゃない感…と諦めて久しく、ご本人の実演で頂く機会に恵まれて、やっと本物に!食材の使い方や、火の入れ方が少し違うだけで、こんなに変わるから料理は面白い。夜は「見たことのない、ありふれたもの」の美を見せてくれたドリス・ヴァン・ノッテンの世界観が詰まった青山のお店とのお別れ。

ー
Ⅲ

「訪れたことがないはずの場所の風景が見えるか」というのが、新しい香水を探す時の基準なのだけど、お菓子にもそういう空間体験を求めているのだとツルミ製菓 @hepopec 
で初めてお菓子を食べた時に確信した。写真では記録できないもの。甘さと酸味、軽さと重厚さ、温度と香り、シンプルなお菓子に秘められたバランス感覚を教わるレッスン。

ヨーグルトを使ったブリヌイの生地とサラダの酸味にシッキムの紅茶が本当によく合う。食べかけの崩れた断面にこそ、クレープとクリームの繊細な仕事が現れる。
去年から?シンプル・クレープが流行中だけど、フランスでは「クレープ屋でバイト」というのは、若者のはじめてのバイト的な位置づけらしく、それほどクレープやガレットはポピュラーというか日常的な食べ物らしい。本場流の「気軽さ」こそ家に取り入れたいなと思って、クレープパンをポチッた。

ー
Ⅳ
松陰神社から経堂へ、そしてまた松陰神社へと戻ってきたらゴダーユ @la_godaille パリパリの魚の鱗、むっちりなシャモ、大人のクリームコロッケ…もう何年も前なのに、その食感が忘れられない料理がたくさんある。記憶が鮮明なのは、ここを訪れる時はいつもお祝いの時で、同じ3人でテーブルを囲んでいる空間的な記憶と紐づいているからかも?
そういえば、クレープの美味しさを再発見したのもここだったなぁ。食材の瑞々しさがシンプルがひきだされて、そのマチエールの豊かさが現れてくるようなお料理が、やっぱりいちばんのごちそう。

ー
Ⅴ 
仕事納めは「泰明庵のせりそば(もしくはせりカレー蕎麦)」で決まっているのに、一年中仕事がぐちゃぐちゃだった去年は最後までそんな感じで、ゆっくりお昼に出る時間もなく一年が終わってしまった。おしゃべりに夢中になっていると、食べても食べても麺が減らないミステリーが起こってしまうので、黙々と向き合って食べるべし。左では背広姿の取引先との新年の会合が始まり(1月も終わりかけのしかも午後二時に!)、右では昼間のワイドショーさながらのおばさまの会話が耳に入る。独り言のように次から次に話題を繰り広げるオバAと、「私それ興味ない」「好きじゃない」と、拘り強すぎるとこうイヤな感じになるよなぁ(と自分を見ているようで気まずくもある)オバB。茶番を演じているような左の卓、それぞれの世界しか見えてなくてチグハグなのになぜか成立してる会話劇のような右の卓。あゝ大衆的。こういう銀座が好き。
アスプルンドと知られざるレヴェレンツの運命。
生前どんな衝突があろうとも、死後は安らかに、それぞれがデザインした椅子が仲良く並ぶ(べられてしまう)未来。

森の墓地の中にある森の礼拝堂。なぜかここだけ靄がかり、臨界のようになっていたことが忘れられず、「過去と未来にすれ違う」ような不思議な磁場に満ちていたこの日に思い出されるのも何かすごい魔力。

レヴァレンツがメインで手がけた建物は見逃していたようだし、久しぶりにスウェーデンを再訪したい。ほっこりではない、北欧デザインの真髄に触れるような旅に。日本語や英語では文献のほぼ出てこないSwedish Graceを探求したい。
「アアルトは実は一番ハードコア」(これ、どなたが書かれていたかソースを一生探している)なフィンランドにも…
Morocco, where I had always dreamed of, was someho Morocco, where I had always dreamed of, was somehow where I felt it had already been inside myself though it was a first time to visit. As the title of Saint-Exupery’s novel “Terre des hommes” represents, the land was indescribably full of various lives and its colors, especially green and brown.
Finally, I might encounter the land and a man that embrace all our existence.

モロッコ。ずっと夢見ていた場所は、何もかもが初めて、言葉もわからないのに、もともと私の中にある風景のようだった。亡くなった祖母が生きた、知らない時代の行ったことのない島や海の景色が、私の中にあると感じるように。

モロッコを1周するような長い長いバスの旅。どんな画家や建築家も嫉妬するであろう緑と茶色の階調がバスを走らせるほど豊かに深く広がっていく車窓の中に、岩石、羊の群れ、人々の暮らしが、どれも等しく星座のようにポツポツと現れては消えていく。

「土に還れない私たち」。人間の尊厳とは何か?を問うとき、どう生きるかということよりもどう死ぬかということに思いをめぐらせずにはいられない。20億年先の未来の人類が我々に語りかける映画『最後にして最初の人類』で傍受した、肉体を失いながら魂だけが生き存える(てしまった)人類からのテレパシーが頭から離れない。生きることとコインの裏側のようにある死ぬことにこそ人間の尊厳があるとしたら、私の願いはひとつ、土に還りたい。その場所を見つけてしまった気がして、旅の半ば帰国することが怖くて涙が止まらなくなってしまった。

生きることはその最期の居場所に辿り着くための旅路であり、それはコンパスの定まらない土地で彷徨う、ある種の地獄かもしれないけれど、その過程でさまざまな人々や生命、そして風景に出会い、導かれ、そして助け合いながら、自分の選択を信じて進んでいくことができたら、どんなに自由で幸福なことなのだろうか。

出発前に友人が薦めてくれたサン=テグジュペリ『人間の大地』とともに、旅は始まった。航空紀行としての本書は人生のメタファーのようでもあり、言葉にまだうまくできない、したくないのかもしれない、モロッコでの記憶や出会いとともに、人間として、人間らしく生きることについて、霧に差し込む素直で美しい一筋の光をもたらしてくれるようだった。
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(C)2021 OUT OF THE SCALE
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