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The Guide to See the World from Trivial Matters to Luxury Objects

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Mood

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petipetite

_petipetite

peripheral venice diary. 1, 2 Somehow, a good exh peripheral venice diary.

1, 2 Somehow, a good exhibition also brings a beautiful view afterward, allowing me to savour its lingering atmosphere.
良い展示ほど、そこから出た瞬間にも良き風景を同時にもたらしてくれる不思議

3,4 Details worth considering
考察に値するディテール

5 An origin of "Umarell" is from Bologna, but it's decent enough.
「ウーマレル」発祥の地ではないけど、まずまずの出会い

6 Every dog has his well.
犬も歩けば井戸にあたる

7 Venezian way of taking the garbage out.
ヴェネツィア流ゴミ出し

8,9 Seagulls, gals and gang.
カモメは海のギャングでそしてギャル

10 Grazie, sister. 
ここに泊まれなければヴェネチア行きは断念してました
Obol by Andrius Arutiunian @andrius_arutiunian Pe Obol by Andrius Arutiunian @andrius_arutiunian 
Period : until 31 May, 2026 (sun)
Venue: Hermès Maison Ginza Le Forum
@fondationhermes 
Curator: Tomoya Iwata @tomoya_iwta 

Obol | アンドリウス・アルチュニアン展
会期:2026年5月31 日(日)まで
会場:銀座メゾンエルメス ル・フォーラム
キュレーター:岩田智哉

Only a week left until the exhibition ends (31 May)!
会期終了まで1週間です!

=========

*unofficial and informal POV😉

✍️A small note on the exhibition “Obol” by Andrius Arutiunian 

“Music is liquid architecture; Architecture is frozen music."
― Johann Wolfgang von Goethe

Since ancient times, there has been a deep connection between music and architecture. Even in modern and contemporary architecture, this connection has mainly been applied through mathematical or geometric interpretations, such as Iannis Xenakis with Le Corbusier, Daniel Libeskind etc…

The solo exhibition ‘Obol’ by artist and composer Andrius Arutiunian unfolds an investigation of the underworld’s future —a mirror of the real world—drawn from the aesthetics of an underground rave.

Interpreting the exhibition’s key elements—bitumen, myth and time—as its compass, this essay explores the possibilities of ‘architecture as music’ or ‘music that renders textures on “frozen architecture (place / space)”’.

「建築は凍れる音楽である」―ゲーテ

古代より音楽と建築の関わりは深く、クセナキスとコルビュジエ、リベスキンドなど、近現代建築においても数学的あるいは図形的な解釈としての応用がなされてきましたが、本稿では、アーティスト/作曲家であるアンドリウス・アルチュニアンの個展「Obol」が地下レイヴの美学から描き出す、現実世界の鏡としての地下世界-冥界のビジョンから、音楽としての建築、或いは「凍れた建築(場)」にテクスチャを取り戻す音楽の可能性について、本展の主題となる素材:瀝青、神話、時間を手がかりに探索します。

🔗in bio
Report of @labiennale @dutch.pavilion.venice “ Report of @labiennale @dutch.pavilion.venice 

“The Fortress”
by Dries Verhoeven
@studiodriesverhoeven 
curated by @riekevos 

A small note on the performance at 12:00 on 9 May 2026.

パフォーマンスは撮影禁止で行われた。(オーストリア館の裸の女性たちの写真撮影に制限が設けられていなかったのが改めて少し疑問に思えてくる。否写真NGのサインはあったが黙認されていた…)

パフォーマンスの開始時間になると、定員に達するまで観客は中に案内され、そして入り口のシャッターが閉じられる。初日がデモへの連帯で展示クローズというニュースを見ていたので、何かへのプロテストとして引き続き実施を見送っているかと思っていたのだが、そうではなかった。客入れの一瞬しかシャッターが開かないため、ずっとクローズしているように見える。

会場には白い簡素なスツール(リートフェルト)とヴェネチア・ビエンナーレの歴代の図録がアクリルに封入されたものが点在している。ほとんど物のない空間では、普段気に留めることのないところに目が行く。

天井近くに大きく入った亀裂。
壁のヒビ。

シャッターがさらに閉じる。

突然、ある観客が叫ぶ。
STOP!

HELP
YOURSELF

喉を鳴らすような苦しそうな声*に、こちらも呼吸が浅くなる。
* 「グラウリング」というデスメタルに由来する、声の最も低い音域を用いる技法だそう。

天井のシャッター(ルーバー)が一枚閉まる。

SMILE

HOLD ON YOUR GROUND

観客から奪い取った椅子に乗り、動かない壁を必死に動かすように壁に向かって叫ぶ。
自分の土地を奪われまいとしがみつくような切実さ。壁やシャッターは、制度や権威のように、私たちを取り囲み、自らの手の及ばないのところで操作される。
観客は既に危機的状況にあるかもしれないし、次にターゲットになるのは自分かもしれない。世界のパレスチナ化。パレスチナ人映画監督E.スレイマン『天国にちがいない』(2019)の予見した世界ではまだユーモアをもってSMILEと笑い合えただろうか。

また一枚シャッターが閉じる。

ENGAGE

この空間を共有する私たちにもエンゲージメントが求められている。

確固たる歴史として存在するかのような本(図録)を足で倒す。滑らせれる。
ジーンズを腰まで下ろして、赤ちゃんのように地面を這う。
言葉にならない声で唸る。

DO YOU WHAT YOU WANT

DON'T STOP
KEEP GOING

成長に猛進する企業のキャッチコピーみたいな言葉が、薄暗闇に虚しく響く。

ジーンズを上げ、シャツを脱ぐ。
今度は壁に向かって。
低い唸り声と同時に、発していないはずの高周波の音が聞こえてくる。
壁と身体の反響で、音がヒビ割れていくような。
声は、声までも破壊されていくのだろうか。
声を上げ続けることで、壁(制度や権威)と身体の間に、今にも消えてしまいそうな、しかし確かなノイズを残すことができるのだろうか。
破壊されてもなお、修復することは可能なのだろうか。

最後のルーバーが閉ざされていく。
観客は段々と影に、個人の識別不能な存在として消えていく。

PLAY MUSIC
PLAY BACK

過去は再生され続ける。この徐々に閉ざされていくパフォーマンスは、自閉していく世界、そして自分自身の現状を突きつけながら、ビエンナーレ(特にジャルディーニの帝国主義な)の牧歌的な世界から、現実世界へと観客を引き戻す。様々な意図をもって、観客を閉じ込めたり、締め出したりするパフォーマンスは行われてきたが、ここでは「不確かな世界で何か掴む(hold on)べきものを探し求める人間の姿を見る」ことで、楽観的でも悲観的でもなく、ただ現実を見ることにどう耐える(hold on)ことができるかを問われているようだった。

JOY

そして、完全なる暗闇へ…
初めは奇声のように感じられたかもしれない誰かの声だけが、光や距離感を失ったこの暗闇で、辛うじて自分(たち)の居場所を証明する標、バリケード、或いは生命線となる。途端に急に身に迫ってくる切実さを帯びる。

最終日に訪れたコラテラル・プログラム、ウクライナのPinchukArtCentreによる「STILL JOY」との共鳴を感じながら…
Flash report of @labiennale @deutscherpavillon s Flash report of @labiennale @deutscherpavillon 

stunning installation of @henrikenaumann and @sungtieu 
curated by @kathleen.reinhardt 

"In Ruin"
by HENRIKE NAUMANN and SUNG TIEU

Architecture, not only its exterior but also its interior, is a medium that records the violence imbued within it, implying at the systems behind it and laying the absence that can never be filled.
A discreet yet radical critique of the history of relentless war.

まず外観に戸惑う。廃墟の落書きのような、でも乱雑さというよりも、静謐な緊張感に包まれる。ソリッドな建築は、ドイツの機能主義的でもあり、あたかも元々そういう建築であったかのように錯覚しそうになるけど、ドイツ館はもともとは古典主義的な外観をしている。1938年のナチス・ドイツ時代にエルンスト・ハイガーの設計によって改築された「ファシスト」的な建物を、アーティストのSung Tieuが、東ドイツ(GDR)のプレハブ式の社会主義住宅に1/1スケール(原寸大)で置き換えていく。300万枚以上のモザイクタイルによって。そこは、ベトナムにルーツをもつ作家がかつて住んでいた外国人契約労働者向けの最大級の住宅団地の一つであり、現在は取り壊しが予定されているという。記憶がまたひとつ消えていく。

モザイクタイルは古典的な装飾というよりも、近現代の都市空間を覆うそれを想起させ、妙なリアリティで迫ってくる。名もなき人々の痕跡は、その身体もピクセル画のように抽象化され、やがて消滅していくような。

また、内側の壁面は緑色に塗られており、上方のスリット窓から覗くその色(光)にも不穏な空気が漂う。後日訪れた
@fondazioneinbetweenartfilm 「CANICULA」で展示されていた、Roman Khimei and Yarema Malashchuk《Wishful Thinking》(*1)の展示室の緑色のブラインドも同様に。あのミントグリーンの色はソ連の「共産主義的」な何かを喚起させる。その時代、文化圏に生きていなくても。建築に染みついた記憶、不在について考えずにいられない。

緑色の壁の部屋、入り口入ってすぐの展示室にはヘンリケ・ナウマンの作品が展示される。家具、カーテン、道具など、ドメスティックな風景に、時代背景というのは無意識に投影されていく。「ヴィンテージ」や「ムード」として手にされ、消費されているデザインアイテムの背景に潜む歴史…

両サイドの展示には、SUNG TIEUの彫刻作品が展示される。壁に並べられたアルミニウムの棒も、床に置かれた半円形の窪みをもつ一対の棒も、暗号のような、素材感も相まって拘束具や解剖台のような冷徹で不穏な空気が漂う。反対側の展示室には、身体の一部を象ったガラス彫刻が展示されるが、いずれも作家自身あるいは作家の母親の身体から模られており、スケール、計測という技術が、人体の拘束、処罰、管理に使われてきた歴史について、問いかける。

アカデミア美術館で行われていたアブラモビッチの個展では、様々な自然鉱物に身体を押し当てる観客のインタラクションを求める作品が展示されていた。自発的なキャリブレーションへと誘う窪みと、型に嵌めるための窪みと…

(*1) ロシアによるウクライナ侵攻がすでに終結した架空の未来を舞台に、高齢のロシア人兵士たちが、自らの役割や責任について後悔したり、隠蔽したり、あるいは無視したりする姿が描かれるマルチチャンネルの映像作品。ソビエト時代のウクライナの劇場でロシア文学や演劇の登場人物を演じることでキャリアを築いてきたウクライナ人俳優たちが演じる。
Flash report of @labiennale 

「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」🇯🇵
荒川ナッシュ医
@japanfoundation 

オーストリア館に続き「赤ちゃん抱っこしたい」というお客さんが大行列をなす日本館。なので、むしろパフォーマンスの時間の方がすんなり入れて、パフォーマンスを見た。

パフォーマンスは、子どもをあやしながら家事する時のようなカオス?の中で行われて、それはそれでリアリティがあってよかった。それぞれの赤ちゃんは、親を疑似体験するためのベイビートイではなく、それぞれ日本と他国をめぐる様々な歴史的背景を背負うルーツをもって生まれたという設定になっている。そういう背景に基づくそれぞれのアイデンティティや性格は、直接的なかたちではなく、占い師の石井ゆかりさんのポエティックなテキストで添えられているのだが、私が見たパフォーマンスでは、その文章を読み上げていくことがメインのようだった。(会場にもプロジェクションされているが、一体どのくらいの人がそれを読んでいるのだろうかという感じではあった)

パフォーマンス最中ずっと膝の上で、赤ちゃんを抱えている人。途中アーティストやパフォーマーから自身が抱っこしていた赤ちゃんを預けられるので、観客でかわりばんこしながらお世話するように赤ちゃんが回ってきて、私も抱っこすることになった。

展示では、赤ちゃんを抱っこすることだけではなく、おむつがえも体験できるのだが、女性はまあ慣れた手つきで、よくも悪くも深い意味なくやっているように見えるが、男性の方がむしろ貴重な、新しい体験に触れているように熱心に取り組んでいる姿が印象的だった。

アーティストステートメントには、赤ちゃんを抱っこしなくてもよいとか、生殖をめぐるあらゆる考え方や事情に対する配慮的なものがちゃんと書かれているのだけれど、お客さんの方はというと、そういう葛藤など一切ないかのような赤ちゃんハッピームードに包まれていてばつが悪い。

世界中でたくさんの赤ちゃんが殺される中で、赤ちゃんを抱く、つまりその重みを感じながら「もつ」ことで、たとえ自分の子どもでなかったとしても、その命や、その子が背負う運命というものを「わが子のように」親密に想像することを目指しているとは思うのだが、なんというか子どもを「もつ」ことと「産む」ことには埋めようのない溝があるように感じてならなかった。

赤ちゃんは4カ月の月齢の体重だそうだが、先日抱かせてもらった友人の赤ちゃんよりずいぶん重たく感じた。アーティスト自身の子どもの4カ月の時はこれくらいだったのか、平均的な重さなのかはわからないけれど、乳幼児は特に成長のスピードがバラバラなはずなのに、個体差がない赤ちゃんというのが不気味さを増している。同じ重量でも赤ちゃんや動物を抱っこする時と、米俵(もの)を持つ時とでは重みが違うことがある。抽象的な意味では動物の方が重いのだが、物理的にはものの方が重く感じられることがよくあるが、それは向こうから歩み寄ろうとする力:信頼がないからだ。ごっこ遊びの延長にリアリティが手繰り寄せられるのか、ごっこ遊びで留まってしまうのか、難しい。

(追記)「泣かない手のかからない赤ちゃん」みたいなのも気持ち悪かったのかな。ここにいるすべての赤ちゃんがそれぞれ泣きじゃくってる手に負えなさがあったら、違うように感じていたかもしれない。
Flash report of @labiennale 

“SEAWORLD VENICE”
Florentina Holzinger

「裸体の女性の過激なパフォーマンス」的に各メディアのヘッドラインとして取り上げられているので一番の大行列。

入口ではクレーンに鐘が吊られている。鐘を鳴らす「舌」の部分は、裸の女性がその役割を担い、身体を左右に打ち付けながら鐘を鳴らす。(鐘の部品の各箇所に体の部位の名前がつけられているのも面白い)鐘を吊るワイヤーの太さ、鐘の金属の厚みに、どれだけ身体を痛めつけているのだろうと、どう見て良いのか躊躇う。ほとんどの観客はといえば、完全にスペクタクルとしてただ見ているようだが…

並んでいる間、右側の棟の屋根の上に、金色の天使の風向計がゆっくりと回転するのが見える。しかし天使は異様なポーズで、両足を背中から頭の前にもっていくようなヨガのポーズ?あるいは中国の雑技団、peeping tomのダンサーの驚異的な身体を思わせるというか。

天井付近のスリット窓から、その内側にも裸の女性の姿がかすかに見える。ようやく中に入ると、屋根から床までポールが降りていて、3人の裸の女性と、裸婦像のブロンズ彫刻が垂直に並ぶ。ポールダンスのように重力に抗う動き、読書しながらうたたねするように静かに佇む(高齢の)女性。天に上る天使ではなく、天から地、水へとエネルギーが収束していく。「女性主導の『キリスト降架』解釈としてのモニュメント」と記されている。

左側の展示室は、プールでジェットスキーをまた裸の女性が乗りこなすパフォーマンスが行われる。実際ヴェネチアもこれくらいの密度でボートが行き交っているのではないかというくらいラグーンを人間の活動が荒らしている。疲弊、タンポンのリアリティ。

〈若く美しい裸の女性〉として描かれるニンフの水浴びのような、家父長的で、牧歌的な視点でまなざされる風景をフェミニズム的視点で描き直すように、現代社会のシステムやエコロジーに警鐘を鳴らす。

2つの展示室の間を通り抜けた中庭に置かれた水槽にも裸の女性が「展示」される。水槽の下に置かれた大量の循環装置、左右に並ぶ仮説トイレ、ガラス越しに見える機械室に、水のエコシステムが見えてくる。

水に囲まれ、水位上昇の危機に晒されるヴェネチアで、「私たちが数えきれないほどのサイクルの中で飲み、排泄する水」をテーマに、来場者の小便から再生した水を居住空間として女性たちは生き、そしてゴミや汚物を処理する「掃除婦」として女性たちは働く。純潔と汚染、罪と贖罪の二重性。

「浄化(cleanse)ではなく対峙(confront)するために、汚物(piss)を召喚しなければならない」

「I LIVE IN YOUR PISS」

私もトイレでお小水してきた。

制御不能に陥った下水処理施設、人間(パフォーマー)不在の間も絶え間なく動き続けるロボットの犬。「フランケンシュタイン的なディストピア」とキュラトリアルステートメントには記される。

他のお客さんがスタッフ(も掃除婦役のパフォーマーなのだが)に尋ねていた質問を漏れ聞くに、下水処理のタンクから溢れ出す水は実際の汚水では(ほぼ?)ないようだ。ここが彼女たちの「労働」の場だとしたら、糞尿にまみれるような環境では働かせられないだろうと冷静になると思う。リアリティとフィクションがひとつの機械のシステムの中にも共存している。

時報としての鐘の音を4回聞いた。3時間待って、1時間見た。しかし、見る側もそれくらい(行列に)身体を拘束されないと、彼女たちの肉体労働に見合わないのではないかと、もし何の我慢も強いられずに見たら感じ方は違っただろう。

鐘も外側から見るのと内側から見るのでは違う。身体を酷使するパフォーマンスではありながら、どう身体を守るか、ケアするか、それが見えないと、「見る」ことができなかったと思う。
Flash Report of @labiennale “IT NEVER SSST” Flash Report of @labiennale 

“IT NEVER SSST”
Miet Warlopによる展示とパフォーマンス🇧🇪
@miet_warlop 

部室と部活動を覗き見るような空間。パフォーマンス開始の11:30の10分頃には到着していたが、中に入れず、中の観客も見えないので、「部外者の立ち入り禁止」みたいに締め出されて外から見るものかと思って眺めていた。開口部からはとても断片的にしか見えない。

しかし、定員があって、誰かが出たら、誰かが入れるシステムで、ようやく終盤に中に入れたら30人くらいの人が見ていた。

石膏型で作られた文字の断片が、『IT NEVER SSST』の楽譜として、コンクリートポエトリーのように並べられていく。プロテストのように持ち上げられたり、ボールをリレーするように運んだり、大声の掛け声とドラムを激しく打つ音。叩きながら破壊するパフォーマンスなのかと予想していたが、何度も何度も何度も運ばれて置かれるうちに壊れていく。ヒビが入り、壊れかけるほどに、単なるオブジェとしての石膏の文字に、言葉に血肉が通うように感じられる。

パフォーマンスの両脇にはアトリエが設けられており、片側は石膏アトリエ、もう一方ではこのパフォーマンスの瞬間をレリーフ絵画にする作業が行われており、美術部、音楽部、バスケ部が一堂に介したような課外活動的オルタナティブ?のエネルギーに満ちていた。
建築コレクティブ @ultrastudio_jp による 建築コレクティブ @ultrastudio_jp による「上原坂道の住宅」。

🔗下りたり、登ったり、回ったりしながら、段々と住宅空間に、そして都市に、身体が浸透していくような建築体験の備忘録。
毎年、何かの体調不良にハマってしまうお年頃になってしまいましたが、去年は背中の痛みがマイブームでした。理由は明らかで、仕事してる時に息してない、胃痛が背中に響いている、ということなのですが、左右差にムラがある痛みは拗らせていて厄介らしい。 

去年は、停滞感や無力感に苛まれることの連続で、無理矢理ポジティブ変換するとしたら、棚卸と整理の年だったと思う。年末駆け込んだ初診の鍼灸院で、開口一番、来年の目標は「脱力」ですねと言い当てられてしまう。子どもがヤダヤダとごねる、あの動きが最も身体の力が抜けるらしい。力を抜くというのが一番難しい。力が抜けてリラックスした状態をイメージする時、いつも馬の「砂遊び」のしぐさを思い出す。干支にちなんだグリーティングには、今年は絶対に砂遊びをテーマにしようと決めていた。

年末最後の方の英会話のレッスンで、人の気質を表現する語彙集みたいな課題があって、ケチにも色んな言い方があるんだなぁとか、面白かったのは「Down to earth」というイディオムで、字面から想像に難くない「地に足の着いた」という意味だけではなく、その本質にある「落ち着いた/ 穏やかな」人という意味があるらしい。
日本語にしちゃうと、なんだか従順な雰囲気になっちゃうけど、ハワイのオーガニックスーパーDown to earthのちょっとヒッピーなムードで、2026年は脱力して行きたいと思う〜

🔗抽象度の高い新年の目標
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(C)2021 OUT OF THE SCALE
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