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The Guide to See the World from Trivial Matters to Luxury Objects

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petipetite

_petipetite

Summer is over. 土と水の間-泥のような Summer is over.

土と水の間-泥のような身体に拘束されながら(バイオリズムによってそれは最悪な気分にも、それも悪くないと言う気分にもなる)、ホロスコープは風タイプ(と言われても信じ難い)で、最も縁遠い火が、実は救いと治癒の鍵だったのかもしれない。対極にあるものほど求めずにいられない天秤座の性。

火を操る術は文明の起源で、人類に遍く備わっているわけで、でも現代の都市空間には、そんな根源的な火を自由に使う自由すらない。作る・使うより、守る・防ぐための手間と都合の多さと言ったら。

よく考えてみると、実体がなく、常に移ろいゆくものである現象が名詞として確固たるものっぽく綴られることは不思議なことで、そもそも文字や言葉に還元不可能なものなのだろう。燃え上がる炎、空気に霧散する煙のような不可逆的な時間と、燃え滓になった灰から遡求する時間の二重性の渦の中に、生は立ち現れる。

今年の夏の記憶は、火、煙、そして灰だった。

1. 字の如く「薬」だった火薬。
workshop with @sayatarou

2. 古典の普遍性から、最近は中世が気になる。錬金術のアレゴリーによって輪郭を捉え直す身体の物質性。設営とか撤収の時にしか見えない光景について。

《Where We Expected to Found Flowers》 @leoserranorivas

3. 帰省時に蚤の市で見つけた野良の古物サマルカンド。アルコールが残っている音がしなかったので、車の中で呑気に披露していたら発火してあわや大惨事。ライターは飛行機に乗せられないため持ち帰れず。後日、陸路指定の宅急便で輸送。

4. 家探しで譲れない条件は「ガスコンロ」。火を見たい。玉蜀黍の天ぷらは夏の定番。

5. ようやく油が馴染んできた卵焼き器。火とそして油を司るワンダーウーマンになりたい?
この夏、1番楽しみにしていたマルコス浄瑠璃「金閣寺」。
総合芸術としての舞台芸術の凄みをこれ以上なく、これほどコンテンポラリーな感覚で味わったことはあるだろうか。
マルコス・モラウの作品は、昨年NDTの来日公演の中で紹介された「Folkå」(ブルガリア民謡の歌声の中で生命の祝福が立ち現れる)が衝撃的で、今回このような形で新作(ワールドプレミア!)を見ることができて本当に本当に嬉しい。

三島由紀夫の『金閣寺』が、人形浄瑠璃、歌舞伎、コンテンポラリー・ダンスに、オペラやアヴァンギャルド・ポップのテクスチャも織り交ぜながら、振付家マルコス・モラウによって再解釈される。

やぶれかぶれ。伝統的な三色の定式幕は所々が焼かれ、深淵を覗かせる。文楽の調べと西洋的な音楽、洋舞と邦舞、古典と現代が目紛しく移ろい、リミックスされていきながら、格式高い舞台からアンダーグラウンドのクラブかどこかへトリップするような感覚も覚える。私はどこにいる/あるのだろうか…

マリア・アルナルの持続的な歌声、舞台上を絶え間なく舞い上がる灰に包まれながら、鑑賞者の体までも幽玄の世界に埋もれていく…

マルコス・モラウのコレオグラフィーは、衣装も相まって儀式的な集団意識をどこか感じさせる。複数の身体がひとつの共同体のように蠢きながら、その中を浮遊するように動く「顔」が、ひとりひとりのアイデンティティとその揺らぎを雄弁に物語るのが特徴だと思っているのだが、その儀式性や特徴的な顔の動きと、歌舞伎の舞踊が驚くべきシンクロを見せていた。

一般的に、重力からの解放を目指す洋舞の動きに対して、邦舞は重心を落とす動きであると比較される。洋舞のダンサーの動きは、その卓越した身体性によってどれだけ自由に動いているように見えようとも生きる(死ぬ)地上の人間の苦しみから逃れられないことを意識させるのに対して、邦舞の踊り手の身体はむしろ、足元の灰に渦もり、舞い上がる灰と共に空中に漂う煙に霧散していく亡霊のように見える。宙をふわふわと漂う提燈の幽かな光を見て、魂を思わずにはいられないだろう。
人形遣いの動きによって生を宿す人形のように、踊り手の身体は他者に操られ、否、他者に身を委ねることで、生気を取り戻していく。

2人の邦舞の踊り手は、大人と子どもで、明らかに身体の大きさが違うにも関わらず、倒錯する感覚に陥る。人形と歌手も然り。舞台の演出効果なのだろうか。「近づくほど遠ざかり、手に入れようとするほど、かえって彼を支配する。」
遠近感を失わせるもの、それが美の恐ろしさなのかもしれない。

どんなものでも、最終的には灰と化す。完璧な美しさでさえも。所在を失った人間は、灰、煙、炎といった非物質的な現象、その崇高さを眼前にし、諸行無常を悟ることで、再びその身体に肉体としてのマテリアリティを取り戻していくのだろうか。

モラウの出発点は、金閣の放火の後、小説の末尾に置かれた一文であると言う。
「生きようと私は思った。」
人間は自ら破壊することでしか(再)生を実感することはできないのだろうか。

しかし、モラウが三島の作品を出発点としつつも、再現を目指しているわけではないと語るように、いまそこにある身体や時間と向き合うことで人間の本質を探ることが、同時代的な芸術のもつ可能性だとしたら、どうだろう。
「生きようと私は思った。」
何度も何度も壊されても、生きることを選ぶことができるかを問いかけられるようだった。生かされている限り。他者を操り、他者に操られながら、それでも「私」を生きることができるか。

An reinterpretation and reincarnation of Mishima’s world by the exceptional choreographer @marcosmoraukoshska ,transcending the boundaries between life and death and incorporating various artistic disciplines.

Anything turns ruin in the end, even perfect beauty.
The body, losing its orientation, by being shrouded in incorporeal elements such as ash, smoke and flame; it may be able to regain a sense of corporeality, surrendering to a reality manipulated by uncontrollable force.
Yet, we choose "living," no matter how many times it is destroyed.

👏👏👏@bunkamura_dance
Fieldwork around Kameari. Fieldwork around Kameari.
過日のボローニャ自炊ダイアリー。 過日のボローニャ自炊ダイアリー。

1. 使い慣れないカメラのホワイトバランスのせいで、黄色のキッチンはfoodpornに。(ファッションフードの文脈で10年前くらいよく見かけたね。だけど、もう死語?)

2. コールドミールだけだと食事と思えないのはアジア人の食慣習らしい。そうでなくてもスープ狂としては、ちょっと(だいぶ)高くともこのブロードを飲まずにこの街を去れない。日本に持って帰りたいほど本当に美味しくて、「ブロードを引く」という何時間あっても時間が足りなさそうなウィッシュリストがひとつ増えてしまう。

3-6. Tortelini(トルテリッニッ)ってかたちも音も可愛くて、それだけで選んでしまう。イタリア語は全くわからないけど、発話の音の感覚はとても心地よかった。

7. 午前中にはクローズしてしまうローカルな魚屋さん。教会のモザイク、ヴェネツィアのドイツ館に感動した後に見ると、壁のモザイクに目を惹かれてしまう。今度はもっと長期滞在して魚料理も作りたい。

ミラノ日帰りで23:30に帰宅して、調理始めて、日を跨ぎながら食べるという東京みたいな生活になってしまったある夜の記録。むしろ日常のリアリティを味わえたのか…
権力を誇示するための旗や尖塔ではない屋根の収め方として、「木を植える」ルッカの塔に藤森氏が可能性を見ていたけど、そもそもこの塔と、対角を成すもう一つの塔と明らかに街を見渡す(監視する)ように聳え立っているし、土も合ってなさそうに弱々しく植えられた苗木に、自動給水のパイプが張り巡らされていて複雑な気持ちに…

一方で、素焼きレンガに自生する植物たちが、名もなき建物から権威ある建物までお構いなく、その建物の表面に生気を宿らせながら、街の風景に豊かな表情を作り出すワイルドネスに魅了されずにはいられなかった。

1. Cattedrale di Santa Maria del Fiore, Florence
2. Torre Guinigi, Lucca
3. Lucca
4-5. Le due Torri, Bologna
6-7. Bologna
accidental venezian glasses🌀 1. temporary rest accidental venezian glasses🌀

1. temporary rest at "Social Unrest" / MATTA gallery in Milan.

2-3. Off-the-books deal
「出光真子 おんなのさくひん」
東京都写真美術館
@topmuseum 
2026.06.18-09.21

女性の身体とそれをとりまく環境、とりわけ「家庭内(ドメスティック)」の環境がテレビ・メロドラマの型を使って描かれる。
各々の家庭実情には多少なりと差はあれど、ここに映し出される光景は多くの人にとって身に覚えのある「家庭」の"ちょっと嫌な"様相だろう。日常を再演するワンシーン、その部屋の中に置かれたテレビモニターには、実際のテレビ番組(外部)の代わりに、自分と家族の"おおごとにするほどではない(と思われていた)"ありふれた暴力や歪んだ愛情の姿が映し出される。

おんなのからだの中に、家庭という閉鎖的な環境に染みついた、看過されてきた、でも、そうすることしかできなかったような苦しみに胸が締めつけられる。

しかし、カメラを通して外部と接続し、テレビを媒介として外在化させ、もう一つの視線を挿し込み、環境や他者との境界が曖昧になった自らの身体をそこからデタッチメントしながら、主体性、意志、意識を取り戻そうとする出光真子の映像作品群は、この上なく希望にも満ち溢れているのだ。

閉鎖的な家庭内では、母、娘、夫、息子…とそれぞれの役割が無意識に当て嵌められ、内面化されていく。古くから、神話や宗教的な物語でも、男、女、息子、娘など、それぞれの役割に世の摂理が象徴されてきた。そういう象徴によって神聖化されることによって生み出された苦しみもあるだろう。しかし、象徴はある意味で相対化する手段でもあったのではないだろうか。現代社会では相対化する象徴もなく、母娘問題に顕著なように、境界線(バウンダリー)が曖昧なまま、自分の身体が具体的な誰かによって同一化されることによって生み出された苦しみもあるのではないかと最近考えたりしている。

オープニングで、息子のひとりであるフランシス修さんも少し触れられていたように、《Inner Man》、《アニムス パート2》、《シャドウ パート1》など、ユングの心理学の影響を感じさせる作品群には今回初めて出会い、より一層興味を惹かれている。

全部ちゃんと見たら3日かかるらしい?
また会期中何度も訪れたい!

#出光真子 #makoidemitsu
peripheral venice diary. 1, 2 Somehow, a good exh peripheral venice diary.

1, 2 Somehow, a good exhibition also brings a beautiful view afterward, allowing me to savour its lingering atmosphere.
良い展示ほど、そこから出た瞬間にも良き風景を同時にもたらしてくれる不思議

3,4 Details worth considering
考察に値するディテール

5 An origin of "Umarell" is from Bologna, but it's decent enough.
「ウーマレル」発祥の地ではないけど、まずまずの出会い

6 Every dog has his well.
犬も歩けば井戸にあたる

7 Venezian way of taking the garbage out.
ヴェネツィア流ゴミ出し

8,9 Seagulls, gals and gang.
カモメは海のギャングでそしてギャル

10 Grazie, sister. 
ここに泊まれなければヴェネチア行きは断念してました
Obol by Andrius Arutiunian @andrius_arutiunian Pe Obol by Andrius Arutiunian @andrius_arutiunian 
Period : until 31 May, 2026 (sun)
Venue: Hermès Maison Ginza Le Forum
@fondationhermes 
Curator: Tomoya Iwata @tomoya_iwta 

Obol | アンドリウス・アルチュニアン展
会期:2026年5月31 日(日)まで
会場:銀座メゾンエルメス ル・フォーラム
キュレーター:岩田智哉

Only a week left until the exhibition ends (31 May)!
会期終了まで1週間です!

=========

*unofficial and informal POV😉

✍️A small note on the exhibition “Obol” by Andrius Arutiunian 

“Music is liquid architecture; Architecture is frozen music."
― Johann Wolfgang von Goethe

Since ancient times, there has been a deep connection between music and architecture. Even in modern and contemporary architecture, this connection has mainly been applied through mathematical or geometric interpretations, such as Iannis Xenakis with Le Corbusier, Daniel Libeskind etc…

The solo exhibition ‘Obol’ by artist and composer Andrius Arutiunian unfolds an investigation of the underworld’s future —a mirror of the real world—drawn from the aesthetics of an underground rave.

Interpreting the exhibition’s key elements—bitumen, myth and time—as its compass, this essay explores the possibilities of ‘architecture as music’ or ‘music that renders textures on “frozen architecture (place / space)”’.

「建築は凍れる音楽である」―ゲーテ

古代より音楽と建築の関わりは深く、クセナキスとコルビュジエ、リベスキンドなど、近現代建築においても数学的あるいは図形的な解釈としての応用がなされてきましたが、本稿では、アーティスト/作曲家であるアンドリウス・アルチュニアンの個展「Obol」が地下レイヴの美学から描き出す、現実世界の鏡としての地下世界-冥界のビジョンから、音楽としての建築、或いは「凍れた建築(場)」にテクスチャを取り戻す音楽の可能性について、本展の主題となる素材:瀝青、神話、時間を手がかりに探索します。

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